短編小説「明石の落日」
宇治へ
武庫(西宮市)に上陸した息長足姫は、船上で授かった神託に従って神々を祀るため、社を造営するべく計らった。
船団に同乗していた臣下の子女に、戦線が東に移動するのを待って、各地に赴くように命じる。
天照大御神は、山背根子(やましろのねこ)の女、葉山媛が、広田(西宮市広田神社)に、
稚日女尊(わかひるめのみこと)は、海上五十狹茅(うなかみのいさち)が、活田長岐(いくたのながお=中央区生田神社)に、
事代主尊(ことしろぬしのみこと)は、葉山媛の妹の長媛が、長田国(長田区長田神社)に遣わされた。
地方に社殿を造営するということは、現代で言えば、学校や公民館を建設するのと同じで、政権が住民の支持を得る材料に利用された。
箱物行政のはしりである。
***
一方、住吉では、椚麻呂が弟彦王と相対している間、忍熊と彼の軍勢は東に向かって進軍を開始した。
武庫に近づいた時、忍熊は義母、息長足姫の軍勢との激突を覚悟していたが、意外にも敵はさらに東に退くように見えた。
武庫には、船から降りた家族、子女が不安げに軍勢を見届けているようだ。
忍熊はこの家族の男たちと刃を交えなければならないことに、とても心苦しさを覚えていた。
政権獲得を確かなものとするには、まず大和の都に帰還することが第一の条件、息長足姫はそう考えていた。
しかし、この先、姫が大和に到達するには淀川を渡らねばならない。
その際、姫の軍勢は忍熊の軍勢に追いつかれることは必至だった。
「武振熊(たけふるくま)よ、弟彦王の軍勢はどうした?加勢には来ぬのか?」
武振熊とは、古代史に難波根子建振熊(なにわねこたけふるくま)と記録された古墳時代の武将、和邇氏の祖である。多くのいくさで息長足姫と行動をともにした。武内宿禰とならぶナンバー2だが、武内不在のときはトップの将官である。
「おそらく忍熊との戦闘で消耗しておりましょう。それに彼らは山の衆、平地のいくさには向いておりませぬ。」
実際、椚麻呂との戦闘で結構な損耗をこうむり、弟彦王は一旦、丹波へ帰還していた。
息長足姫軍の将、武振熊は、鳥飼(大阪府摂津市)の渡しで忍熊との対戦を決意した。
息長足姫の軍勢に対し淀川の渡し舟の数は多くはない。
いかに損害を少なく多くの軍勢を川向こうに移動するかが武振熊に課せられた。
はたせるかな、息長足姫と忍熊の軍は、淀川の堤で対峙した。
「弓矢、放てーー。」
一斉に両軍から弓矢の応酬が始まった。
すでに息長足姫は、一足先に渡し舟で対岸まで達していた。
なおも弓矢の応酬は続くが、その向こう側では姫の軍勢はピストン輸送で渡河を続行している。
忍熊の軍は、敵の弓矢隊に斬り込んで大損害を与えるも、対岸から渡し舟の上からも弓矢は飛来する。
淀川の堤は大混戦となり、かなりの兵士を堤に置き去りにして息長足姫の軍勢は渡河に成功した。
姫の軍に渡し舟を処分され、忍熊の軍勢は、川向こうにいる姫の軍を追うことは不可能となった。
息長足姫の軍は手痛い損害をこうむり、忍熊は戦術的に勝利したが、姫側は初期の戦略的な目的を達した。
忍熊の軍勢もかなりの損耗があり、どこかで兵力の回復と補給を行わねばさらなる戦闘には耐えられない。
「敵は、本拠の筒城(京都府京田辺市)に帰り、力を回復いたしましょう。さらには大和へ・・・。」
五十狭茅宿禰は、すでに次なるいくさのなりゆきを予測していた。
「敵が都に上り、即位を宣えば、我々は賊軍に成り下がります。その前に叩かねば。」
「五十狭茅宿禰よ、あわてるな。敵を追い、山城から歌姫街道(京都府道22号線)を上ることは、火の中に飛び込むに等しい。」
「近江のわたくしの郷里より、もう少し援軍を呼ぶことはできます。」
「このまま淀川の堤を北に進めば、菟道(うじ=京都府宇治市)あたりで落ち合うことができましょう。」
忍熊は倉見別の提案を採用することにした。
「よし、最後の決戦は、菟道だ。」
菟道に到達した忍熊は、仮の宮を造営し、忍熊が新帝に就くことを宣言した。
諸国に向け、忍熊の新王朝を支持するよう、また、息長足姫の立てた政権は反動勢力であることを訴えたが、思わしい反応は返ってこなかった。
諸国の人々は、事の成り行きを見守っているようだ。いよいよ決着をつけないと事は収まらない気配が濃厚となった。
***
山城国筒城郡(つづきのこおり)は息長氏の本拠地である。淀川を渡り筒城に脱出した息長足姫は、兵士たちにしばし休息の時間を与えた。
さらに息長足姫は紀伊国に赴き、誉田別と武内宿禰に再会する。
誉田別皇子は初めて大和の地に入り、息長足姫は摂政に即位する。
かつて香坂がいた佐紀の宮は、王族、臣官などもぬけの殻で、首都機能がストップしていた。
都の機能を回復するため、息長足姫と誉田別の前途は多難のようだった。
皇子と姫は佐紀の宮に残り、菟道に布陣した忍熊に対抗するため、武内宿禰を派遣した。
筑紫より帰還したときを上回る兵力を編成し、武内宿禰と武振熊二名の武将が、それぞれの軍と姫の直轄軍の三つを指揮する。
筒城の駐屯地を発した武内の軍勢は、ただちに忍熊側に察知された。
宇治川の背後、大吉山の物見からは、武内の大軍が移動するのが手に取るように見えた。
両軍が川をはさんで布陣し、決戦の火蓋は切って落とされた。
弓矢の応酬に始まり、武内側は、対岸に突撃するタイミングを計っていた。
そこへ忍熊側からひとりの武士がしゃしゃり出る。熊之凝(くまのこり)だった。
彼は声高らかに兵士たちに檄(げき)を飛ばし、敵軍を扇動した。
川の水量は少ない。武内の兵は、堤を降り忍熊側に突撃してきた。
「今だーっ!」火矢が上がった。
天ヶ瀬に築いた堰が解かれ、溜まった水を一気に放流、濁流となって武内の兵を襲う。
突撃した兵の多くは流され、武内の軍は大きな損害をこうむり、戦闘は膠着した。
これではいつまでたっても敵を打ち破ることはできないと悟った武内宿禰は、三軍すべての兵に号令した。
「髪を結い上げ、ひかえの弓づるを髪に隠し、木刀を帯刀せよ。」
武内宿禰は、あらかじめ息長足姫に仕込まれた第三の策謀を発動した。対岸の忍熊皇子に対して叫びかけた。
「忍熊皇子さま、私は天下を欲しがらず、ただただ幼い皇子を抱いてあなたにお従いするのみです。」
「どうして戦う事がありましょうか。どうか共に弓を絶って武器を捨て和睦いたしましょう。」
「忍熊皇子さまは皇位につき、安らかに政治をなされることを望んでおります。」
武内は全軍に、弓の弦を切り、木刀を外して川に投げ入れるよう命じた。
忍熊は、その言葉を信じて停戦に応じた。
「武内殿、相わかった、こちらも武装を解こう。皆、武器を川に投げ入れよ。」
忍熊側が武器を棄てるのを見届けた後、武内宿禰は再び全軍に命じ、控えの弦を取り出して張り、背中に隠した真刀を抜いて突撃した。
忍熊皇子は欺かれた。
「図られた、すでに控えの武器はない・・・。」
「武内宿禰よ!そのようなあざとい手段で天下を盗るなど、末々後の世まで祟あるぞ!!。」
忍熊は兵とともに近江方向に逃走したが、山城と近江の国境、逢坂(おうさか)で追いつかれた。
狭狭波の来林(ささなみのくるす,大津市)に至って、武内側の一方的な惨殺戦を呈し、忍熊軍は壊滅した。
忍熊皇子はさらに逃走したが、その先は行き止まり、琵琶湖の岸であった。
「いざ吾君 五十狭茅宿禰 たまきはる 内朝臣が頭槌(くぶつち)の 痛手追はずは 鳰鳥(におどり)の潜せな」
五十狭茅宿禰に、『武内宿禰の手痛い攻撃を受けるまえに鳰鳥のように水に潜ろう』と、のたまった忍熊の詩だが、入水して死亡したかどうかは定かでない。
武内宿禰は、忍熊を本当に倒したのかどうか、もうひとつ確信はなかった。
しかし翌日、下流の宇治川で忍熊皇子らしき遺体が発見され、武内は息長足姫に忍熊皇子討伐を報告した。
ここに正当な皇位継承者、香坂皇子、忍熊皇子の兄弟は、息長足姫とその臣下により排除された。
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