五色塚古墳
短編小説「明石の落日」にまつわる場所の紹介、紀行第一弾です。
神戸市垂水区の山陽垂水駅と霞ヶ丘駅の中間に、この古墳はあります。
他の多くの王陵と異なり、1960年代から整備が進められ、きわめて美しい状態に復元された、全国でも珍しい例です。
復元後の全長は194mですが、近代にはいって、鉄道施設のため前方部が若干削り取られたため、本来は200m以上の規模があったとおもわれます。
この古墳の埋葬者は不明です。記紀に記録さている香坂、忍熊の叛乱にまつわる説や、埋葬者は明石国造なる説、などが一般的にいわれていますが、そう簡単に因果関係を説明できない成り立ちがこの古墳にはあるようで、一段と存在の謎を深めているようです。
また、海を望む位置であるから、海運や漁業に深いかかわりをもつ人物…、という説明も同様におもいます。古墳の中心線を延長して南の方に向けると、淡路島内の重要な神社、遺跡に当ります。そういった細かい事柄に関しても、考察の幅を広げる必要があるようにおもいます。
わたしは、他にこの規模の古墳が近辺に存在せず、兵庫県内においても最大規模であること、畿内以外の播磨に存在することから、短期間ではあるけれども、ここ明石国に、大和王権と対峙する地方王権が存在したのではないかと考えています。
畿内では、三輪王権から河内王権に移行する過渡期に、なんらかの政治的な動揺にともなって、大和とは別の王権が存在しえた、そして王墓が築かれた、とうい仮説が時代的に符合するようにおもいます。
ここを初めて訪れたのは、ちょうど5年前。
そのとき淡路と海峡を望むこの場所で、“かつてここに大王が君臨していたんだ…”、そんな空気を感じた、その経験が今回の小説を書くスタートになっているようにおもいます。
小説を書いた後、先日、再びここを訪れてみて、5年前に増して一段と感慨深いものがありました。
『天さかる いなの長道ゆ恋ひ来れば 明石の門より大和島見ゆ』 柿本人麻呂
海上から古墳や野島あたりを見上げて初めて知る、…海峡の両岸に漂う古代の息吹…。
速鳥の逸話とともに、マイボートの置き場所を、明石にこだわった理由のひとつでもあります。
おまけの画像は、垂水区名谷の『転法輪寺』。垂水区内で最も古い寺院です。五色塚古墳を訪れたあと、立ち寄りました。紅葉が実に深く、とってもきれいでした。この周辺は、奈良の秋篠路を彷彿させる地域です。この寺院に至る参堂口の集落は『中山』(所在地は垂水区名谷町)です。奈良市にも秋篠の北隣に『中山』があります。
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コメント
諸説ある所でしょうが、面白いです!!
投稿: ガメラ | 2008年12月10日 (水) 12時33分