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押熊八幡神社 旧蹟地

Z00017 奈良市押熊町の押熊八幡神社です。

大分県の宇佐神宮を本宮とする『八幡神社』は全国におびただしい数が存在します。
ご祭神は応神天皇、小説に登場する香坂、忍熊両皇子とは義理の兄弟になります。

こちらの八幡神社には、香坂王、忍熊王の旧蹟地が神社敷地内に存在します。Vfsh0025_2

 

 

その由来説明看板にはこうあります。

『・・・この日本書紀の伝承にある忍熊王は、当時、この地域を支配していた実在性の高い人物・王の1人であったと考えられる。そして、この地域にある日本有数の巨大な前方後円墳を含む「佐紀盾列古墳群」とのかかわりも考えてみる必要もある。

Vfsh0024 古来より、連綿として忍熊王を奉斎してきたこの地域の歴史を忍ぶことができる。忍熊王子神社の祭日は、4月18日で、当日は、宮座の者が参列して古来の儀式によりお祭をする。また農家では、昔からこの日を「だんご休み」といって農作業を休み、「よもぎだんご」を作って祖先にお供えするとともに、近隣縁者の家に配る風習がある。

ここ「押熊」は、鎌倉時代に作成された「西大寺田園目録」の中の「添下郡京北三里の所に「秋篠押熊原」との地名がみえ、また「大和国添下郡京北班田図」にも「押熊里」の記入があることにより、押熊が古代からの由緒ある歴史的地名であることに疑いはない。
なお、この旧跡地に隣接する「カゴ池」「カゴ坂」は、押熊の祖先が、香坂王に因んでつけた名称であろう。』

Vfsh0026 この神社の南東約2kmには、両皇子を討伐し朝廷から排除した義母、神功皇后の陵墓があります。その規模は全長276m、奈良県内で第4位の大きさです。
それに比較して、両皇子を祀るこの旧蹟地を思うと、皇位継承の争いに敗北した皇族の悲哀を感じずにはいられません。

参考にさせていただいた こちらのサイトに、神社の詳しいリポートがあります。
近畿各地の名所旧跡、世界各地の紀行など盛りだくさんに充実しています。

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和気神社

岡山県和気郡和気町の和気神社です。

Img_0912s_2岡山方面にドライブに出かけ閑谷学校などを訪れたついでに立ち寄りました。

訪れた日は、好天にもかかわらず秋の観光シーズンから外れていたため、なんと参拝者は皆無。しかし、春の藤のシーズンや桜と紅葉のシーズンは、観光客が大挙して訪れるらしいです。

まず、参道の入り口で我々を迎えるのは、「和気清麻呂」像。この銅像は、かつて奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の玄関前にあったものですが、1983年に和気町に寄贈されたということです。わたしが小学生のころ遠足で博物館を訪れたとき、この像があった記憶がはっきり残っています。    

Img_0917sImg_0913s 社殿の配置はごくオーソドックスで、付近の風景とあいまって、ゆったりとした敷地に伸々とたたずんでいます。また、特筆されることのひとつに、和気神社には、和気氏の守護神である『狛猪』が参道鳥居前と拝殿前に鎮座しています。
道鏡事件をはじめ和気清麻呂に関する逸話など、その由来を関連サイトや文献を参照されると、いっそう興味深いことがわかるとおもいます。

Img_0914sさて、小説の展開に関する話に移りますと、記紀では、菟餓野において誓狩に出た香坂皇子を倒したのは赤い猪ということになっています。

一方、神社由緒によると、
『第11代垂仁天皇の皇子 鐸石別命(ぬでしのわけ)の曾孫である弟彦王は、神功皇后に反逆した忍熊王を和気関に滅ぼした功により、藤原県を与えられ土着した。その弟彦王(おとひこおう)を祖先とする和気氏は備前・美作両国に栄え、その12代後裔が和気清麻呂公・和気広虫姫である。』
とあります。
このことより、様々な考察がなされますが、おそらく和気氏の祖先は、香坂、忍熊両皇子の討伐に、深くかかわっていたと考えるのが自然とおもわれます。

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兵庫県立考古博物館

この博物館は2007年10月に開館した新しい施設です。

Img_0890s 加古郡播磨町に在し、最寄の駅はJR山陽本線土山駅より徒歩15分と、奈良から訪れるには、出かける前に少々気合が必要です。
しかし、弥生から古墳時代にかけての住居遺跡「大中遺跡」に隣接し、先史時代において重要な地域の中心に位置していて、訪れることが無駄ではない立地であるとおもいます。
加えて、私がフネを保管している二見ボートパークより車で10分程度の至便な位置にあり、時間が許せば、いつでも利用できるメリットがあります。

さて、兵庫県は遺跡数において全国一位の座にあることはあまり知られていません。
これは、面積が広いことに加えて、瀬戸内海側、日本海側両方に他地域から文化を受け入れる窓口があったこと、九州など西日本から畿内に入る交通の要衝であったことなどが大きな要因であろうとおもいます。

Img_0900sImg_0899s この博物館は、そういった地域性を最大限に生かした展示がなされており、見ごたえがあり、一度訪れられることをお薦めできます。
古墳時代の準構造船の復元展示、高砂市竜山から奈良県見瀬丸山古墳まで運ばれた復元石棺の展示など目を見張ります。
概して、先史時代、有史古代の展示が充実しており、遺跡発掘調査の現場を再現した大規模な展示もあり、その重要性を理解することが出来ます。

また、地元有志の方々の協力を得て、来館者に積極的な学習参加を促している姿勢は、他の博物館に同様な例は少ない、すばらしい点とおもいます。

Img_0895sImg_0897s この画像の山陽道は、畿内-播磨の境界付近が、鉢伏山の裏を通る「古山陽道」として表現されています。
また明石海峡両岸に築かれた砦や狼煙台の解説など、小説の資料として有用な展示が多数ありました。

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五色塚古墳

短編小説「明石の落日」にまつわる場所の紹介、紀行第一弾です。

Dscn0042s 神戸市垂水区の山陽垂水駅と霞ヶ丘駅の中間に、この古墳はあります。
他の多くの王陵と異なり、1960年代から整備が進められ、きわめて美しい状態に復元された、全国でも珍しい例です。
復元後の全長は194mですが、近代にはいって、鉄道施設のため前方部が若干削り取られたため、本来は200m以上の規模があったとおもわれます。

Dscn0036s この古墳の埋葬者は不明です。記紀に記録さている香坂、忍熊の叛乱にまつわる説や、埋葬者は明石国造なる説、などが一般的にいわれていますが、そう簡単に因果関係を説明できない成り立ちがこの古墳にはあるようで、一段と存在の謎を深めているようです。
また、海を望む位置であるから、海運や漁業に深いかかわりをもつ人物…、という説明も同様におもいます。古墳の中心線を延長して南の方に向けると、淡路島内の重要な神社、遺跡に当ります。そういった細かい事柄に関しても、考察の幅を広げる必要があるようにおもいます。

わたしは、他にこの規模の古墳が近辺に存在せず、兵庫県内においても最大規模であること、畿内以外の播磨に存在することから、短期間ではあるけれども、ここ明石国に、大和王権と対峙する地方王権が存在したのではないかと考えています。
畿内では、三輪王権から河内王権に移行する過渡期に、なんらかの政治的な動揺にともなって、大和とは別の王権が存在しえた、そして王墓が築かれた、とうい仮説が時代的に符合するようにおもいます。

ここを初めて訪れたのは、ちょうど5年前。
そのとき淡路と海峡を望むこの場所で、“かつてここに大王が君臨していたんだ…”、そんな空気を感じた、その経験が今回の小説を書くスタートになっているようにおもいます。
小説を書いた後、先日、再びここを訪れてみて、5年前に増して一段と感慨深いものがありました。

天さかる いなの長道ゆ恋ひ来れば 明石の門より大和島見ゆ』  柿本人麻呂

海上から古墳や野島あたりを見上げて初めて知る、…海峡の両岸に漂う古代の息吹…。
速鳥の逸話とともに、マイボートの置き場所を、明石にこだわった理由のひとつでもあります。

Img_0974s おまけの画像は、垂水区名谷の『転法輪寺』。垂水区内で最も古い寺院です。五色塚古墳を訪れたあと、立ち寄りました。紅葉が実に深く、とってもきれいでした。この周辺は、奈良の秋篠路を彷彿させる地域です。この寺院に至る参堂口の集落は『中山』(所在地は垂水区名谷町)です。奈良市にも秋篠の北隣に『中山』があります。

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宙塾 PA活動近況

10月26日、御所市葛城公園でのリサイクルフェスタです。

Img_0926s_2 このイベントにPA係りとして参加して、今回で4回目となります。
この会場では、前回より、二組のスピーカーとアンプにより、音場の広角化を図っています。
メインのスピーカーは、従来通り40cmウーハーによる3way、サブは12cmフルレンジダブルによる小型システムです。
サブをスピーチ演者立ち位置の両サイドに置くことにより、はね返りモニターも兼ねています。
また、この後方は来場者の入場エントランスにもなっていますので、導入効果に関しても好都合です。

081116sImg_0939s_2 続いて、11月16日、奈良町センター「宙塾(おおぞらじゅく) こどもおん祭り発表会」です。

この日は朝からまとまった雨が降り、午前中、野外でのイベントは断念されました。
急遽、建物内の大会議室に会場を変更してイベントを進行。大人数の出し物は中止になりました。
ここでは12cmダブルが活躍。画像は紙芝居「良弁杉(ろうべんすぎ)」一座の公演です。

Img_0949s_2 午後から雨が上がり、再び野外のステージに会場を移動することに。
機材の搬送は、かなりしんどいものがありました。歳を感じます。

何回かイベントでPA係りをやってきて、いちばん問題点を感じたのは、機材の知識と重量物をかかえる体力を合わせもつ人材というのは、そう簡単にいない、ということでした。
アンプのパワーも十分ではありませんし、スピーカーの規模も、もっと充実したいという希望もあります。
それ以前に、お手伝いを引き受けてくれる方があれば、それも可能になろうかとおもいます。Img_0948s_2

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