第三話
短編小説「明石の落日」
菟餓野
忍熊皇子と臣下たちは、海岸から一部始終を見届けたが、成すすべはなかった。
「兵を集め態勢を立て直すのだ、早く!。」
いくさがが始まったことに感づいた労務者たちは、いちもくさんに現場を離れようとして、海岸周辺は大混乱となった。
そんな時、垂水北方の高塚山(西区学園都市)の狼煙台から信号が上がった。倉見別が報告した。
「布施畑(西区布施畑)方面から軍勢が接近しているようであります。」
「どこの軍勢か?新たな敵か?。」
「いえ、よくわかりません。『イ・ノ・シ・シ』狼煙台はそう言っておるようです。」
「弟彦王(おとひこおう)の一族でありましょう。彼らは丹波の野蛮な土豪で、猪を捕らえその肉を食らい、猪の毛皮を纏う習慣がございます。」
「鴨あたり(賀毛郡=兵庫県加東市付近)では彼らに手を焼いています。まるで山賊のごとく。」
福田宿禰が忍熊らに諭した。
五十狭茅宿禰、倉見別はあきらめの表情を隠せなかった。
「まもなく、息長足姫さまの兵が上陸してくるでありましょう。新たな軍勢と合流すれば、敵は強大な兵力になります。」
「我々の主任務は陵の築造、ここには武器が十分にありません。ひとまず住吉(神戸市灘区)の屯倉(みやけ=朝廷の倉庫)まで引きましょう。」
「やむをえないな。しかし兄上はほんとうに倒れられたのであろうか?」
「忍熊皇子さま、兄上、香坂皇子さまはご存命であることを願い、私どもが捜索いたします。」
「弟彦王の一族がこの集落に達したら、忍熊皇子さまが東へお向かいになる間、適当な用件を作って足止めをいたしておきます。」
福田宿禰の提案は、忍熊たちには心強かった。
武将直轄の兵士、兵士でないもの、かき集められるだけの人員を集めて忍熊皇子たちは急遽、明石を離れた。
それからしばらくして、弟彦王の軍勢が明石に到達した。間一髪で忍熊らは脱出に成功した。
弟彦王は、事前に息長足姫から援軍の要請があり、明石で合流する予定になっていた。
「弟彦王さま、ようこそおいでを…、」
福田宿禰は、敵対心がないことを示そうとしていたが顔はこわばっていた。
「おお、ここの長(おさ)か?、ちょっとじゃまするぞ。大和の姫さんはまだか?もう日が暮れる、メシでも食わせろ。」
「はい、息長足姫さまはあそこ、船の上でございます。」
「お食事は炊守(かしきもり)がご用意いたします。今晩お休みでしたら、五色山の陵と高丸の砦をお使いください。」
「それにしても大和のバカ息子たちは逃げ足が速いのう。福田よ、おまえ後で姫さんからお咎めがあるぞ、ハッハッハッ。」
いくら待てども息長足姫の船団は、上陸してこなかった。
弟彦王は足止めを食って、その日の晩は垂水で待機せざるを得なかった。夜半に姫の船団は東へ向かった知らせが入る。
***
一方、海峡上の息長足姫の船団は、海流の変化に翻弄されていた。地元の漁師が言う『イアイニチ』である。
海峡中央に近づくにしたがって船足の逆、西流が激しくなり、大きな三角波が船を襲う。船は思うように進むことは出来ない。
息長足姫は神託を請うた。なにやら神がかった様子で姫は臣下に指示を下した。
「もうすぐ波はおさまるでしょう。そののち真っ直ぐ武庫(西宮市)の水門(みなと)へ向かうのじゃ。神はそう申されておる。」
陸上では弟彦王の軍勢が待機しているが、合流することは断念された。
西流がおさまり海流は反転、東流に乗って無事海峡を通過、その日は暮れた。
岩屋(淡路市岩屋)で一夜を過ごし、船団は一路、武庫をめざし進んだ。
武庫に近づいたとき、息長足姫は武内宿禰を呼び新たな指示を与えた。
「武内よ、そなたはこの子、誉田別を守って紀伊の国まで送り届けるのじゃ。」
「これからいくさはより激しゅうなるであろう。いくさ場にこの子を連れるのはいかにも心許ない。」
「さすれば息長足姫さま、いくさ場は我々におまかせいただき、姫さまが皇子さまとともに、紀伊へ向かわれては?」
「いえ、これは神託じゃ。陸に上がったら、わたくしには神託に従ってやらねばならぬ仕事がある。どうか誉田別をよろしく頼む。」
武庫に上陸した息長足姫とその軍勢は、別れを惜しむ間もなく紀伊に向かう誉田別と武内宿禰を見送った。
***
さらに場面は変わり、命からがら明石を脱出し、住吉の屯倉にたどり着いた忍熊皇子の軍勢である。
すぐ後方から、いつ弟彦王の軍勢が襲ってきてもおかしくない状況に彼らは気を許す暇もない。
弟彦王の軍勢は、夜明けとともに垂水を出立、住吉の西方、菟餓野(灘区都賀川周辺)まで進出してきた。
忍熊皇子の軍勢は、屯倉を陣地に仕立てて弟彦王の軍勢とにらみ合った。
物見からは、息長足姫の船団が東へ向かった報告が入る。どうやら住吉より東に上陸する気配である。
忍熊皇子は、西に弟彦王、東に息長足姫の軍勢に挟まれた。
「東へ、大和の方角に進もう。我々は義母上の軍勢と戦う。」
忍熊皇子は静かに決断した。
「されば、『しんがり』はいかがいたされる?弟彦王の軍勢と相対するのは?」
五十狭茅宿禰は、自分がしんがりを務めようとしていたが、隊列の後から名乗り出たのは下級武将の椚麻呂(くぬぎまろ)だった。
「忍熊皇子さま、わたくしは佐紀の宮で衛兵をいたしておりました椚麻呂と申します。」
「是非、是非わたくしをしんがりに、弟彦王の軍勢を留める盾にお使いください!。」
「よくぞ名乗り出てくれた、礼を言うぞ。これを身に着けていくが良い。」
忍熊は自分が身につけている同じ装束を差し出した。
「椚麻呂よ、これから汝は『香坂皇子』となれ。これを身に着け弟彦王の前に兵士たちを司れ。兵の士気も上がるであろう。」
「ありがたき幸せ、これでわたくしは、あの世に行ってもなんの悔いもございません。」
椚麻呂だけでなく、忍熊の軍勢だれもが死出の旅を覚悟していた。
まもなく忍熊の本隊は、武庫に上陸した息長足姫率いる軍勢に向け出立する。
それに先駆け、ひそかに椚麻呂と少数の兵は、都賀川沿いを山手に向かい斜面に仮の桟敷を仕立てて陣取った。
「弟彦王よ、よく聞け!われこそは先の大王の世継ぎ、香坂皇子なるぞ!。尋常に勝負いたせぃ!!。」
「ようやく出て来おったか、バカ息子が八つ裂きにしてやる。ものども、かかれー!。」
怒涛のごとく猪の大群、いや弟彦王の兵は突撃してきた。
桟敷から矢が放たれ、猪の毛皮を纏った兵士が矢に倒れ徐々に脱落するが、厚い毛皮で致命傷を免れ、すぐに起き上がる。
椚麻呂の兵も一人一人と倒れていくが、思いのほか長い時間を持ちこたえた。
ついに、弟彦王の兵が桟敷の真下まで達し、兵たちは桟敷の土台を掘り起こし始めた。
それは、まさしく地中にいる獲物をあさる猪の姿そのものだった。
桟敷は崩れだし、椚麻呂は地面にたたきつけられた。
兵たちの後方から、赤い毛皮を纏いひときわ大柄な男が現れた。弟彦王である。
「香坂皇子、討ち取ったり!、覚悟!」
勝鬨があがり、身代わり『香坂皇子』、椚麻呂は菟餓野に果てた。
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